Information Literacy

というのが重要になってきているな、と思う今日この頃。

高度情報化社会とかIT社会と言われて、一気に情報が氾濫した。
結果として、今まで知りえなかったところまでよく見えるようになってきて、いろいろな不祥事についても、隠し通す、ということが難しくなってきた。
一方で、信憑性の無い(低い)情報に惑わされるということも増えてきた。また誹謗中傷とかによって傷つけられる人も増えている。

つまり、何事も当然表と裏があるわけで、この情報化社会において生まれた裏表双方をきちんとみれなければならないということである。

お馬鹿な仕組みだと思うのが、選挙に関して。たとえば今回の選挙で、誰かを僕が支持したり、「○○候補に皆さんも投票しましょう!」なんてインターネット上で働きかけたりすると、公職選挙法に違反する可能性があるそうな。

「なんじゃそりゃ???」

という話である。国民の権利である投票という行為を行うにあたり、インターネット上でもみんなで議論してしかるべきだし、なんで僕が○○候補を推したいか、について述べるのも自由なはずだ。そして賛同する人を集めようとして何が悪い。

なぜだめか?

結局はその情報によって振り回されてしまう人が多いからである。たとえばそれが事実無根だとしても鵜呑みにしてしまう人が世の中に多いと思われているのだ。僕はそれが本当かどうかわからないけど、少なくともそう考えて、選挙戦略としてあえて他の候補者をインターネット上で批判することで、国民の投票行動に大きく影響を与えることが考えられる、と政府が思ったから、そういう規則を作っているのだろう。まー実際は僕のようなマイナーサイトで何か書いても読者は限られているので意味ないのだけど。

そのほかにも最近問題となった、番組の捏造とかもそうだし、結局は、情報はすべて正しいものであるべき、という前提がより問題を大きくしているのだと思う。だからそれが正しくなかった場合に、人間は特に怒り出すのだ。

歴史観なんてのもいい例だ。もはや、日本の教科書に載っている歴史が、明らかにバイアスがかけられているものであるということは、インターネットを少し調べればわかるようになってきたけど、歴史というのは「一つの事実しか存在しない」と思っていて、それは誰が見ても変わらない「客観的事実の積み重ね」と思っているから問題が起こるのだ。歴史というものはどうやっても誰かのバイアスがかかってしまうものである。問題はそのバイアスがかけられているものを絶対視するのではなく、反対から見れる力も養うべきなのである。

とある方はこう言っていた。必ず「格闘読書」をするそうな。
これは、両方の意見の人をきちんとよんで、相対的に自分の意見を決めていく、というところ。

最近話をしていて、気づくときがあるけど、いかにも自分の意見のように話しているけど、実際は、いろいろな人の意見を単に組み合わせて、いかにも自分の意見のように話している人がいる。これも自分の頭で考えているのではなくて、単に情報を切り貼りしているだけなのだろう。

僕のお友達の方のブログにもこないだ「カットアンドペースト症候群」と名づけてこれについて書かれてました。


結局今必要とされているのは情報リテラシーなのである。
大事なのは、もはや情報をコントロールし、よくない情報を流さないようにする、ということではない。この情報垂れ流しの社会において、それは不可能に近いし、次から次へと抜け道が作られていくことだろう。
大事なのは、その情報をきちんと評価して、判断して、自分の意思決定につなげられる人間を育成することなのである。

たとえば、詐欺商法に引っかかるなんてのは、基本的にこの情報リテラシーがとてつもなく低い、ということだと思う。

なんで楽して儲ける方法を他人に教えてくれるねん???

じゃーあんたがまずそれで大金持ちになりなさい、その後十分金持ちになったら、教えてくれ、という感じだ。


ここで、情報学の基本をご紹介しよう

「データ」:事象、意見等を書き記したもの、表現されたもの
「情報」:自分の意思決定に役立つデータ

つまり、データを自分の中で変換して情報となるのである。
情報リテラシーとはまさに、多くのデータから自分の意思決定に役立つものを抽出し、それを加工し、自らの判断に役立てることができる能力をいうのだ。
単にデータをそのまま鵜呑みにしてしまう場合との大きな違いである。

と、最近与えられた情報でいかに判断するか、の重要性を自分も含め感じているのである。


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by shinji_isono | 2007-04-03 07:17  

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