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一世紀後の「途上国」という考え方

現在、先進国・途上国を区別する基準は基本的には「経済力」だ。

たとえば、地域での人間関係がほとんど無くなり、心の貧困状態を招いてきている東京を、「発展途上」とは誰も言わないだろう。

経済力において

「先」に「進」んでいるか、まだ「発展途上(もともとは後進国といっていた)」なのかによって区別しているのだ。

ただ、環境問題を考えたときに、この経済的な豊かさ、というものが、もはや時代遅れになってくる、という可能性は十分あるだろう。
「サステイナブルな国」というのがこの先にあるのかもしれない。最近僕もよく話題としてとりあげてるけど、北欧の国々というのは今最もサステイナブルに近い国ではある。

環境的な制約を考えると、多少の相違はあれ、みんなここに近い国づくりになっていくのだろうと思う。その場合、一世紀後の先進国とは何か?

当然、北欧の国々たちはすでにその世界に到達してきており、パイオニア的な存在となるだろう。つまり、もっとも先進的な国というわけだ。

で、次はどの国なのか?ということだけど、経済発展が進んだ国である既存の先進国(まさに日本とか)だと考える人も多いだろう。でも、もしかしたらそれは違うのかもしれない、と最近思っている。これがこのごろぐっと「開発」という世界に関心を持っているところである。僕の仮説はこんな感じだ。

すでに、経済的な、物的な豊かさを十分に享受している世界が、「足るを知る」だとか「無駄に物を使わない」という世界に行くというのはなかなか難しいのだ。
アメリカや日本みたいに、大量に「ばーーーーん」と消費を増やしてしまった世界では、サステイナブルな世界にしていくためには、「禁欲」的な要素が少なからず見え隠れしてしまうからだ。これはもっとも人間にとって難しいことだ。人間、一度楽を覚えてしまうと、生活水準が上がってしまうと、その後下げるというのは至難の業だ。お寺の御坊さんやらとっても意識の高いグリーンコンシューマーは別として、「我慢せよ」なぞというのは、人類にじんましんが出てしまう、そういうものなのだ。

さらに、すでに経済活動を高度に発展させるために特化した、さまざまなインフラ等の社会資本が充実している場合、新たな国づくりに移行するためのパワーというのは、まだこういう資本の蓄積がない国よりも、より多くを要すると思う。なぜなら、新たなものを作るだけでなく、こういう既存のものを廃棄しなければいけない、という要素も生まれるからだ。

逆に考えると、現在の「途上国」が国づくりをしっかりと「サステイナブル」な方向性に位置づけて今から進めば、より早く、環境に配慮できた国づくりができる可能性が大きい。

つまり、必ずしも世の中のステップが、
貧しい国→経済的に豊かな国→サステイナブルな国
とならないという可能性があるのではないか、というところだ。

貧しい国→サステイナブルな国

とひとっとびに行くほうが、より容易なのかもしれない。

こういうひとっとび現象は、いろいろなところで見えてきている。

たとえば電話がそうだ。
先進国はすべて固定回線がしっかり、インフラとして整備されている。これは何十年も長い歴史をかけて、国としての社会資本を投入していった結果だ。そして、その後、単に自宅からだけではなくてどこからでもかけられるという社会資本の拡大として、携帯電話が生まれた。

これが途上国ではひとっとび現象がおきている。
もはや固定電話なぞいらないのだ。少ない投資で携帯電話だけを浸透させることで、一気に社会資本を充実できてしまうのだ。日本が何十年かけた全国電話網を数年、10年程度で構築してしまうことが今の途上国では可能なのだ。日本で多くの人が携帯電話を使い始めてから、まだ10年くらいだろう。経済的には10年以上先に進んでいるけど、もはや途上国のどこにでも、携帯電話を持ち、使える人はそこら辺にいるのだ。これにより無駄な送電線網にかかる投資やら環境負荷やらは大きく節約されているのである。

もう一つ。リニューアブルエナジーという世界。
リニューアブルというのは、環境にいいから導入しましょう!というのは先進国的な発想。途上国では外貨なくともエネルギーを消費地で調達できるものとして、エネルギー政策の一環として導入される場合がとても多い。
これをもとに、それぞれの村で、ソーラーパネルやら風車を設置して、村人に十分な量の電力だけを供給する、という体制(マイクログリッド)が整いつつある。自然と、石油に頼らない社会作りができつつある。

これに対して、日本などでは火力発電、原子力発電に多くを依存し、大型発電所を新潟、福島等につくり、大消費地東京までぶっとい送電線で送っていく、という仕組みができている。世界最高レベルの送電線網を国中にめぐらしている日本において、いまさら、村ごとにソーラーパネルで、なんていったって、ぜんぜん需要をまかなえないし、これら大量に投資された社会資本を無駄にする、というのはなかなか難しいのだ。

IMFを中心に、経済発展でアメリカ的な生活をいずれは、、、的な政策がまだ多いので、このような考え方はなかなか見えてこないが、もし政治、政策の取り舵をうまくとっていけば、

日本・アメリカより先に、サステイナブルな国に持っていくということが可能なのではないか?
というのが僕の仮説だ。

つまり、
経済発展→サステイナブル という最も時間のかかりそうな矢印を経由しないで、ひとっとびする。何よりも、常に自分の欲望を抑制するのではなく、満たすためだけのステップを通して、この世界に到達できてしまうのだ。これであれば、社会的なコンフリクトは起こりにくいし、そのインパクトは計り知れない

もし、この仮説が正しいのであれば、100年後に、北欧の次にくる先進国というのは、今貧困に苦しんでいる、

アフリカ、東南、南アジア、中米

なのかもしれないのだ。

一度物質的な喜びを十分に味わってしまった日本、アメリカ、そしてこれらの国々をおっていこうとしているような韓国、台湾、中国等は、「禁欲」というジョーカーを出さずになんとか環境問題を克服できないか?と技術革新に明け暮れるだろう。しかし、本当に万能な技術を生み出せなかった場合、気づいたらいつの間にか「後進国」と呼ばれる日が来るかもしれない。

そんな夢みたいな世界を想像しつつ、「ひとっとび現象」を「今の」途上国で実現できないだろうか?という興味から、「開発」に関心を持ってきているのである。

←またまた長く書いちまった・・・
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by shinji_isono | 2007-02-18 07:40 | いそいそ的国際論  

選挙

昔聞いたことがあるのだけど、世界三大選挙というのがある。
今はもう言わないのかもしれないし、人口が変わってきているのでいまはこのランキングはちがうのかもしれないけど、当時言われていたのは

アメリカ大統領選
ニューヨーク市長選
そして東京都知事選

もっとも多くの有権者が投票し、それによって当選者が決まる、そういう選挙、という意味だ。

そのうち、アメリカ大統領選、そして東京都知事選がいまあつい!はずなのである・・・・

来年が大統領選にもかかわらず、すでに二大政党は候補者が出始め、彼らがアピールをし始めた。ラジオ、テレビも今からすでにこれらを取り上げ、しょっちゅう大統領関連の番組が組まれている。
ちょっと今からやるというのはやりすぎな気もするけど、これによりアメリカ国民はそれぞれの候補者の人となりから政策、今までの実績等をしっかり考えた上で投票する、ということも可能だろうと思う。

それに対して、東京都知事選はいったいなんなんだ・・・・
いまだに民主党は候補者も決まってないというし、誰が出て、どういう争点になってというのがまったくない。世界最大都市である東京の知事を選ぶというこの選挙が、ほんと、てきとーに行われている。
1ヶ月くらい前にひょろっと候補者が確定し、あとは街中で候補者の名前を連呼!
これでは誰に投票していいのかわからない。

1ヶ月の間に、国民に対して、「最適な候補者を選べ」といっているわけであって、それは不可能な話だ。時間が短すぎるし、毎日仕事で忙しい国民は十分な情報が得られないからだ。

これでは東京都民も、誰に投票していいかなんてわかるはずもない。選挙の数ヶ月前までは自分が出るなんて思いもしなった・・・なんて人が候補者で出てきたところで、たいしたことはできないからだ。

日本の政治は3流とよく言われるけど、こんな状況だからなかなかよくならないのだろう、と思う。政党の責任は重いと思うし、戦略的に候補者選びもっとを前からやっていくべきだろうと思う。だからいつまでたっても、顔とか名前とかでなんとなく国民に選ばれてしまうのだ。

ところで、この石原都知事が一期目の時の選挙に、僕は鳩山邦夫(ゆきおではない)に投票した。当時、彼だけが「環境」を強く政策にアピールしていたためだ。今は、そういう候補者はおるのだろうか?選挙でこれだけ「環境問題」というキーワードがなかなか聞こえてこないというのはいかがなものか・・・・?と思う。


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by shinji_isono | 2007-02-14 03:26 | いそいそ的国際論  

格差社会

今日は昼ごろから学校に移動。
マイナス12度だったのだけど、

「お、今日はあったかいぞ」

と思えるほどに体がなってきている。(←ちょっとヘン)
こないだのとっても寒いときは、小中学校が休校になったりしてたのだそうな。



本日は、Gregg Zachary というジャーナリストのおじさんの講演を聞いてきた。Wall Street Journalのライターであり、最近はスタンフォード大でジャーナリズムも教えているらしい。

タイトルはずばり、"Why is Africa Poor?" だ!

一番心に残ったのは、

「すべてのアフリカ人が貧しいわけではない。」

というキャッチーな言葉でした。最近は、経済開発系の議論ではよく話題になるけど、実は国が本当に貧乏で貧乏で・・・という状況よりも、一部のエリート層が富を独占しており、それが問題なんじゃないの?というのがよく言われている。
たとえば、国民所得の増大は必ずしもその国の最貧困層にとっていいものなのか?となると、実はそうでもなかったりする。僕もアクラ(ガーナの首都)に行って思ったけど、すごいいい日本車、ベンツなどのヨーロッパ車が結構ばんばん走っているのだ。

その富の偏りが解消されない限り、経済発展は緩慢なままであり、地方の貧困層はずっと苦しみ続ける、という関係がある。

彼いわく、単に自然環境がアフリカは厳しいから、貧困が増えて・・・というよりも、こういうエリート層が、IMF、世銀とともに誤った政策を進めてきたことが、貧困を克服できていない理由なのだ、といっておった(農業改革とか含め)
(実際、戦後すぐの頃は、東、東南アジアよりもよっぽどアフリカは有望だといわれていたそうな。)

ジニ係数とかクズネッツ比率みたいなのがあり、その国の所得の不平等を示す指標があるのだけど、日本は超トップクラスなのにくらべ、アフリカは非常に高い。金持ちは平均的な日本人なんかよりはるかに金持ちだったりするのだ。



ところでジニ係数といえば、日本でも所得格差が非常に問題となっている。
たとえば、こんな記事

所得格差是正!!
を声高に叫んでるんだけど、これってもともとは7~8年ほど前くらいから、不況を脱する手段として、

能力主義、成果主義賃金の導入を!!

といったところからきている。この問題はデフォルメして簡単に考えると、あっちを立てればこっちがたたなくなるのだ。
この、能力主義、成果主義を入れてから、「ニート」だとか「フリーター」とかの言葉が「ヒルズ族」という言葉とともに増えてきたのであって、それは実力ある人にはたっぷり給料を上げよう!というものの裏返しなのだ。

で、我々はここに対してしっかり答えを出さなければならないのだと思う。
たとえば次の選挙で。

一つ言えることは、

・格差拡大は必ず社会不安を生み、社会的に弱い人がより大きく影響を受けるということ
・実力主義の典型はアメリカだけど、そこから天才が相当生まれているのに対して、一方でとんでもない貧困層がいまだに相当いて、社会は安定していないこと。
日本より格差が低い国、スウェーデンが一番、「人生に満足している(豊かだと思っている)」という事実。しかも、この国は一人当たりGNPで見てもアメリカをしのいで一位なのだ。

この辺を踏まえたうえで、本当にアメリカンドリームのような方向性が必要なのか?を考えなければならないのだと思う。

アメリカは歴史もなく、あまりにも多様な民族国家なため、どの民族でもわかりやすい「お金」でしか求心力を持たせにくいから、ある程度の必要悪なのかもしれない。

日本も「お金のため」じゃなければ本当に優秀な人たちはがんばれないのだろうか?と思う。
(僕が想定しているのは年収1000万とか2000万以上もらってる人たち。)

途上国では、経済開発のために、いかに格差をなくすか?を議論している一方で、
日本は、経済成長のために、いかに格差を作るか?を考えている、

という不思議な状況が起きているのだ。

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by shinji_isono | 2007-02-08 09:20 | いそいそ的国際論  

世界の人口

というと、中国が一位で、インドが二位で、、なんてのは大体皆さん知ってると思いますけど、この人口比にに応じて地図を作ったという面白いのがありますのでご紹介

世界地図

ちょっとあまり大きくならないので見にくいんですけど、面白くないですか?これ。
カナダ、オーストラリアなんてほとんどなくなっちゃうのに対して、日本は結構でっかく、インド・中国なんてアメリカと比べ物にならない大きさ。

うーむ、としみじみ眺めてみてください。
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by shinji_isono | 2007-01-30 11:07 | いそいそ的国際論  

北朝鮮で核実験

まだ、情報収集中で定かでないようですが、北朝鮮で核実験を行ったとのこと。

これは日本にとってはとてつもない問題であって、また世界の安全保障も今までの枠組みががらがらと崩れていくことを意味する。

つまり、核の保有というのは切り札として強大国と対等に渡り合えることになるのであって、つまりそれは核を保有していない日本にとっては大きな問題。
安全保障体制というのが、いわゆる核を持っている国連常任理事国が世界ににらみを効かし、その強大国が警察の役割を果たすことによって、安定させようというような発想だった(はず)。

もはやインド・パキスタンを始め北朝鮮も持ったことにより、最強の武器である核は事実上どんな国も持てるようになったということ。貧困国、発言力の弱い国は、一発逆転を狙って核を保有する、ということが今後当たり前になるかもしれない。そうなると、何十カ国も核を保有することになり(事実上、日本以外は持てる)、そのうち数発は実際に使われうる。。。

基本的には、「貧困」が戦争をもたらすのであって、もはや武器による安定ではなく、貧困を克服し、宗教観、民族観による多様性を受け入れるにはどうするか?を考えていかなければならなくなる。そこでは、単に単発で終わる「援助」ではなく、持続的に経済が安定する、貧困が克服されるような支援をしていかなければならない。毎年米○kg寄付、という世界では駄目であろう。

というより、アメリカ中心の安全保障は、イラクといい北朝鮮といい、もはや終わった、といわざるを得ない。新首相がだいぶ右だと言われるけど、日米安保だけにたよるのではなく、新たな道を探す必要が出てきている、ということは明らかなようだ。

これに対する日本国民の危機感はどのくらいなのだろうか?アメリカからはわからないけど、核実験を今しなければならなかった北朝鮮は、こないだのミサイル実験といい、相当危機迫っているはずで、「そろそろ冗談じゃすまないかもしれない」という予感も持つべきな気がするが・・・

PS 最近ちょっとはまっているのが「沈黙の艦隊」なのです。こっちでは続きが手に入らない・・・
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by shinji_isono | 2006-10-09 14:33 | いそいそ的国際論  

民主主義とは何か?

民主主義へ移行すべきという方向に誰しも異論は無い。
問題はあるものの、今のところもっとも望ましい仕組み、ということになっている。

ただ、問題なのはその前提なのだ。民主主義の前提は、
「投票者である国民が、しっかり必要な情報を集めて自分で判断し、投票できる」
ということなのだ。

たとえば、まだまだ教育が行き届いていない途上国で、あまりにも安易に民主主義へ移行すると、国民は正しい判断をできないかもしれない。明日の食べ物にも困っている人には、きちんと政治を考えることに時間をもてないし、目先の利益以外考えられないからだ。

自分で情報収集せずに、メディアが取捨選択した情報のみで、政治判断を国民がしている場合も同じだ。

民主主義の難しさはここにある。「多くの情報を集め、各個人が部分的な視点だけでなく、全体最適な視点もふまえて正しく合理的な選択(適切な候補者を選択)できること」という人間をある程度想定していることにあるのだ。どの人も「正解」はわからない。でもみんなが発言する権利を持ち、意思決定に参加して得られた結果であれば、もっとも正しい(正解に近い)政治判断をすることができる、ということにある。

ただ、それは非現実的だから、とりあえずみんなが参加して決める仕組みだけをつくり、みんなで決めたことだから、それについてみんなで責任を持とう、というような形式的なところばかりが注目されている気がする。

なんでこんなことをいい始めたかというと、ここアメリカでは、選挙判断に関する情報が極めて多く入るという点。現在の環境政策の授業で、秋に行われる国会選挙の争点について調べているのですが、とてつもなく情報が取れる。それも候補者がどういうスタンスか?だけでなく、どのくらいの資金力があり、どういう団体が支援しているか、現職議員の場合、議会での重要な法案についてどっちに投票したか?、Sierra Clubのような環境団体からお墨付きをもらっているか?等々ぼこぼこ情報が出てくる。
つまり、民主主義をきちんと機能させるためのインフラの一つであろう情報提供というものが極めてよくなされるようになっている。教育については日本の方が進んでいる気はしてますが、こういうインフラ作りをしっかりせずに、単に「全員に投票する機会を与える」だけでは民主主義は機能しない、そう思わせられた出来事でした。

今の民主主義のためのインフラの不十分さからいえば、民主主義による環境問題の解決は難しいだろう、とおもいます。
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by shinji_isono | 2006-09-26 07:20 | いそいそ的国際論  

日本論(とっても長いです。)

「日本とは何か?」について、ここ数ヶ月~1年、僕の中で熱い。
ちょっとした海外旅行はあったものの、1年前までは日本どっぷりで他の国の視点、他の国からの視点がない状態。それが、留学やら今回のフィールドリサーチやら等々で、常時外人と話をする機会に囲まれ、他国の文化に接することにより、いろいろ考える機会が多い。以前もBlogにも書いたことがありますが、「日本という国は実はすごい強い」ということ。その原因が何か?について感心があった。そして今思っていること、日本に対する印象

「めちゃくちゃすごい国だ!!」

ということ。
日本人、謙遜の文化がいまだきちんと残っているためか、自分の国を卑下する、ちょっとバカにする、というような態度が、なんとなくかっこいい、ということもあり、あまりこういう発想はもちにくい。僕もその一人でした。が、これはとてつもなくすごい人種だ、国だ、と思っています。
この国のすごさ、日本人のすごさ、それを我々はもっと理解し、正当に評価すべきだ、と思っています。

何がすごいか?
一言で言うと、
「目的に向かった高いコミットメントと実際にそれを実現してしまう能力」

今一度、世界地図を広げてみてください。こんなちっこい日本。資源も無く土地も無い。自然は厳しく、台風は来るわ、地震は来るわ。他国との関係見ても、日本の周りには他に先進国もなく、海に囲まれ、孤立している。政治は二流、三流といわれ、ごく少数の非常に優秀な方々の政治の強いリーダーシップで変えてきたわけでもない。言語は世界で数個しかないといわれるまったく他国の言語と根本的に違う構造のものをもち、他国と交流しにくい。体は小さく肉体的にも恵まれているわけでもない。

そんな国がここ200年ほど特にすごい。鎖国をしていて、ヨーロッパで生まれた鉄砲にぶったまげてしまったくらいの「遅れ」があったにもかかわらず、ヨーロッパと程遠い国の中で日本だけが強大国の一員として対等な力を持ち、第一次、第二次と世界大戦を行ってしまう(戦争がいいといっているわけではない。大国と対等だったことがすごい)。戦争でこてんぱんにされたにもかかわらず、1945年からのたった40年ほどで世界二位の一流経済大国に簡単に上り詰めてしまう。
今ではおそらく世界で一番途上国を支援し、その成果も挙げている。世界地図だけを見て語れば、こんなちっちゃい国がいっちょまえに、でっかい中国やらインドやらを支援している。
こんな国は他にない。

たとえばガーナ。今僕がやっているリサーチの根源には、Ghana2020Planという政府が出した貧困撲滅のための全国電化計画というのがありまして、25~30年かけてなんとか達成しようというもの。たった電気だけでこれだけ苦しんでおり、医療・福祉なども対して進んでいない。この計画自体も遅れ気味で達成はおそらく困難。。。

1945年の日本に比べ、支援してくれる国・組織が多い。開発学・経済学というものが発展しており、より効率よく達成できるはず。それでこれだけ苦しんでいるのに、日本はささっと達成してしまった。資源もないし政治も悪いのに。。。このスピード感たるや恐るべしです。医療のレベル、教育のレベル、安全、経済において一気に世界トップクラスに上げてしまった。

何が日本をこれだけ強くしたのか??
これは、武士の時代から何かと僕らの根底に流れている「武士道」的な精神であろう、と思っています。
自分のためではなく、人のため・社会のためには自分を犠牲にしてもとことんコミットする能力。そして責任感を持ち成し遂げようとする実行力。物事を反故にすることは、死にも値する「恥」であると考える精神構造。これら以外におそらく無いであろう、と思っています。「忍耐(忍び耐える)」とかもそれらを支えるものとしてありますね。
特に日本人という人種が世界でもっとも頭のいい人種だとは思えないし、教育制度がずばぬけているとも思えない。日本より経済的に豊かだった国はいっぱいありますし、「制度や仕組み」から強みがくるわけではない。資源が無い、というように「モノ」でもないのは明らか。残るものは「心」であり、それは他国に類をみない。(唯一、騎士道が近いらしいが、これは上流階級だけに限定されていた思想。庶民にまで浸透したのは武士道くらいなのだそうな)

外人と付き合うようになって思うのは、ほんとにこのコミットが低い。
たとえば、二つの仕事が遅れている
「ひとつは自分ひとりでやる仕事」
「もうひとつはみんなでやっている仕事」
日本人はこの場合迷わず後者を優先させるでしょう。他の人にも迷惑をかけるから。たとえばアメリカ人は前者を選んだりする。この人は性格が悪いわけでもなく、普通の人。単に思考回路がそうなっていないだけで、別に悪気が無い(なので批判しても仕方ない。。。)

二人でやっている仕事
「一人がもう一人より圧倒的に大変な作業をしている」
日本人は助けたほうがいいかな???と考えたりする。もう一方の大変な作業を気にしたりする。中国人等は考えなかったりする。自分の仕事だけを見ている。これも悪気は無い。分けた仕事をそれぞれやっているだけ、という認識。

「グループ作業」
約束した締め切りが明日に迫っているが終わらない。日本人の場合、寝ずにやる、という行為が特に賞賛されるわけでもなく、普通の行為。海外では、○○という理由でできなかった、というのを平気で言えて、きちんと睡眠をとる。

それに対して、日本のコミットはある意味宗教がかっているといえるほど異常。高度成長のため家族を省みず働いたサラリーマン(企業戦士)や、米英が理解できなかった、国のためには平気で死ねるゼロ戦特攻隊等々。

これだけコミットできる人種はたぶん他に居ない(それも自分のためでなく、人のため、社会のため。)
アメリカが実力主義を掲げるのも、働かないから。唯一日本人のようにとてつもなく働くウォール街の人々。桁外れな給料もらえなければまずやらないでしょう。。アメリカンドリームをみせることでモチベーションを維持させる必要がある。
アフリカ、アジア。たとえば経済成長したい、豊かになりたいと思うもののあまりがりがり毎日なんでも努力してがんばって変えていこう、という雰囲気はそんなに強くない。それが成長を早められない理由にもなってくる(韓国、中国、台湾はハングリー精神がありやや別。だから成長してる)

残業代でなくても、特にそれだけ働いても、なんとか夢のマイホームが手に入れられる、くらいの豊かさにしかなれないにもかかわらず、あれだけみなが一丸となってがんばれる。
(冗談でたまに言いますが、僕は中世の奴隷の話を聞いて、あまり何も感じないときがあった。彼らは僕より少ない労働時間で僕より寝ていたからだ。もちろん、肉体的なしんどさが全然違うけれども。)

TQCなど、グループ型のマネジメントが日本で強かったのは当然。ムラ社会で人々と助けながら暮らしてきた我々。自分が責任を果たさなければ、ムラ全体に迷惑がかかる。だからがんばる。そういう発想の国なのです。

これに対していい悪いを言っているわけではなく、コミットの低い外人を批判しているわけでもない。彼らのコミットの低さは事実であるし、それは文化の一部なわけです。
それに対して、過労死なんてものも生まれるほど、宗教がかったコミットをもって日本を支えてきたのも事実なわけです。(過労死も特異な状況を除き、基本的には被害者に責任感が強いからこそ生まれた、とも言えると思います。責任感無ければ過労死にならない。)

なんで日本が最大の債権国なんだ?国連拠出額トップなんだ?開発援助額トップなんだ?
まったくわからない。北朝鮮にミサイル打たれても、なんだかんだ援助し続けている日本。傲慢な中国の経済復興を支援している日本。
びっくりするくらいの政府財政赤字があり、一人当たり100万以上の借金がある日本。他国を支援している場合か??

ガーナに行ったら日本が一番有名な国でした。
もっとも国を支援し、彼らの生活に根付いているからです。地方都市タマレのレストランのウェイターでさえも「JICA」知ってるんですよ。割高にもかかわらず、日本製が氾濫し、彼らの生活を支援している。
道端であった青年。将来は、アメリカではなく日本で勉強したいといってました。これだけの技術をもたらしてくれる日本で、その技術を学びたいのだそうです。
歩いていたら必ず言われるんです。「ボランティアか?」
多くの日本人がボランティアしに来ているということです。
アーメッド氏も言ってました。日本がすごいこの国を助けてくれているんだ、と。間違いなく、ガーナから見たら日本は尊敬されるべき国の一つなのです。


その疑問に対する答えは、武士道からくるのでは?と思っています。武士道、決して弱いものを攻撃してはいけない。それは「恥」に値する。一方、弱いものは助けなければいけない。自分の食べるものが減っても人を助ける精神。自分が犠牲になっても社会のためにがんばろうとする精神。だれかれとも無く、「途上国を助けなくちゃ」と思っているのではないでしょうか。たとえそのやり方が不器用でも。
それに対して対してアメリカ。最大の経済国の割には、国連等への貢献も少なく
自国のことだけを考えて京都議定書も拒否してしまう。あまり他国を支援している、というイメージは無く、うまく自国の利害と調整しながらやっているという感じ。

ヨーロッパ諸国は言います。CSR(企業の社会的責任)が大事だと。そのためにボランティアを募り、途上国に送り込んだりする。それってまやかしなのでは?とガーナで思いました。本業での貢献。それが一番の社会的責任である、と。あまり他の企業では見ませんでしたが、ガーナに支店を置き、従業員を雇い、多くの人々に販売し、利用してもらっている、トヨタ自動車なんて、そのビジネス自体が彼らの生活を支えている、それこそもっとも大事なCSRだ、と思いました。
コカコーラだけはありましたが、あとはあまり見ませんでしたね。欧米諸国の企業。それに対して日本は、自動車、電機を中心に多くの企業が浸透しており、「へー、SANYOもTOSHIBAも日本企業なんだ」といような会話をガーナ人としたりしました。

日本でのODAの実態も批判されているので、あまりいえないでしょうが、この写真を。
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ボディショップがMbanayiliに提供した病院です。(一番下のところを見て下さい。プロジェクトの一環として、Clinicを提供したのだと思います。)部屋が8個以上もあり、明らかに豪華な建物です。ボディショップのCSR報告書にはいつの日か書かれていたでしょう。
「アフリカで病院を建ててます。」
この建物、まったく使われていませんでした。医者おろか看護婦もいないからです。彼らが欲しいのは建物ではなく、人や医療器具なのです。Mbanayili村には医療機関は今0です。
ボディショップの社会貢献活動を批判するつもりはなく、むしろすごいと思います。こんな村にまで建物を提供して。さすが、社会貢献活動において有名な企業の一社です。でも、本業で無い以上、ここまでが限界なんです。それよりも彼らの本業にて、石鹸等衛生用品を売っていく、それによりガーナに根ざす、ができたらもっと彼らの生活をサポートできるのではないでしょうか。

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面白くてとった写真。「埼玉県警」と書いてあるのがわかりますか?よく見ると道であった少年の自転車、日本の中古自転車なんです。50ドルといってたので結構高い値段なのです。でも、彼も言っていた「まったく壊れない」日本製の自転車が彼らの生活を支援しているわけです。


その矢先に見つけ、僕にしては珍しく一日で読んでしまった本、「国家の品格」。話題の本の一冊でしょうが、目次を見て最近考えていることが乗っているかも、と思い購入。まさに僕が点で思っていたことのいくつかをきれいに線で結んでくれる、そんな本でした。一押し!!!
僕なりの理解でとても簡単に要約すると、
国家の品格を決めるのは論理ではなく、情緒である。論理はA→B、B→C、C→Dと答えを導き出せるが、最初の仮説の置き場であるAを決めるのは情緒であったり、論理以外も含めた総合的な判断力。ここを間違えるとその後の論理が正しくても間違えた答えとなる。逆にその後の論理はどうにでもつけられる(だから戦争も正当化できてしまう)
日本には、このAをおくための「心」を育成する武士道精神があった。今、論理偏重のアメリカ的な発想にとらわれるのでなく、心をもった品格を取り戻すべく、教育を変えていくべき。
そのためには今一度、日本語の教育を小中等教育で徹底させ、数学力を鍛えるべき。論理から導かれた「英語力強化」では、中身の薄い発言を「英語で」できる人間が増えるだけ。母国語こそ、思想の原点である。

というようなところでしょうか。
「頭より心の大事さ」を教えようとしている、思い出させようとしている、というところでしょう。最近、そもそもの新渡戸稲造の「武士道」も一時期売れていましたし、ここに帰依したい、そう日本人が思い始めている気がします。

僕も常々、小学校で英語を教えるべきではないと思っていました。言語と思考は裏表。
英語は簡単だから国際語になっているんです。つまり、シンプルでわかりやすく思考を伝えられるからこそ、いろいろな価値観を持った人々の橋渡しとして英語は使いうる。けれども、複雑な思考を表現できない(英語に訳せない日本語の多くは日本人ならではの感情に基づくものが多い)。
世界でもっとも難しいといわれる日本語、裏にはそれだけきちんとした思考体系があるということ。それを学ばずして中途半端に英語と国語をやっていたら、それこそ思考力の乏しい人間が生まれてしまう。
たとえばガーナ。100ヶ国語以上がある国。こんな国であれば、他の民族と話すために英語が必要。まだ理解できる。小学校からやって何人の人が将来英語を使うのだろう?
それよりも日本古来の思考、発想を身につけるということが重要だと思っています。
論理より精神、頭より心を育てる教育。文学作品を通して学ぶことの大切さ。最近の子供は心が荒廃しているといっておきながら、英語強化に動いてしまっているようではまったく逆。
このことを自分でうまく説明できませんでしたが、この本のいう最初のAの置き場所、という表現が非常にわかりやすかったです。その後の論理はあとで学べる。最初のAの置き方を学ぶことの大切さ、が述べられている。そこには論理がない。論理ではなく社会の規範であったり、無条件のルールだったりする。それを学ぶことが品格につながる、といっています。コミットメントもそこから学ぶものなのでしょう。理屈では説明できませんから。なので理屈だけを学んでいると、「なんでそこまでがんばらなければいけないわけ?」となってしまう。

国際化→英語力ではない、ということ。これはソニーの井深さんの話として聞いたこともあります。英語はかたことしかしゃべれなくても、その内容にアメリカ人は耳を傾け、感心するのだと。日本の偉大な学者は、英語しゃべれず通訳を介してアメリカで講演しても、多くの人がやってくる。内容がまず第一なわけです。言語は内容を伝える一手段でしかありませんから。


この精神論から来るコミットメントの高さ、というのは、文化・歴史や我々を取り巻く自然環境からかもし出され、長い年月を経て醸成・洗練されてきたもの。他国が真似しようとしてもすぐできるものではない。

とあるウェブサイトで見たのですが、フィリピン人の中には日本を非常に日本を尊敬している人も多いそうです。そして、戦争での日本の対応に感謝をしたりする心もあるそうです。白人だけが選ばれた人種で世界を治めるべき、という力に破れ、次々と植民地化されたアジア諸国に対し、唯一敢然と立ち向かった日本。その勇気とともに、日本はアジア諸国を徹底的に教育した。そのおかげで日本が統治した今の韓国、台湾の成長があると。一方、単に自分の作ったものだけを売ろうとしたアメリカに統治されたフィリピンはいまだに成長できていないと。
日本は戦争中とんでもないことをした、というのは曲げられもしない事実ではありますが、アジアを守るために闘った、と思われていることにびっくりしましたし、とある日本兵の突撃に向けて最後に残した言葉、「戦争はもうやめるべきだ。ただ、日本が占領されたとしても、日本の精神を残し、またそれをいつの日か復活させるためにも、過去、これだけの勇気を持って闘った日本人が居る、という姿を残すために、今飛びたつ。」という言葉もありました。

武士道から来る情の部分の言葉って英語にならない。
人の情け・思いやり、はかなさ・もののあわれ、浅ましい・卑しい、毅然とした態度
なんとなく、うすっぺらい単語に変わってしまう。Mercy? Missing? Greedy? ???
言語と思想とは密接なつながりがあり、そういう思想のない文化では言葉が育ってこなかった。当然のことです。

ただ、これらの日本人の長い伝統で培われてきた「強い部分」が失われているのは事実でしょう。資本主義、グローバリズムにより物質主義が強くなった。コミットメントも落ちてきてますし、個人主義がはびこってきた。

もう一度、日本の強いもの・大事にしてきたものを認識、学習し、これをもとにどう開発、環境保全を実現していくか、を考えていきたいと思っています。
(もし、最後まで読んでくれた方がいたら、本当に有難うございます。)
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by shinji_isono | 2006-07-20 21:11 | いそいそ的国際論  

コミットメントの高さ

日本という国がなぜこんなに経済大国になったのだろう?とよく考えることがあります。
戦争でぼろぼろになり、国土は小さく資源は少ない。教育にも力を入れているとは思えず(特に大学教育)、この国がなぜ強いのか?

「日本人は勤勉」ということをよく言われますが、やはり「コミットメントの高さ」がずばぬけて高い気がします。こっちに来て特にいろいろな外国人をみて思います。
コミットメント、日本語に訳すと「責任感を持って自分の役割をやりきること」とでもなるのでしょうか?
しかもそれを、自分を犠牲にして、または家族を犠牲にしても、会社のため、社会のために自分をささげることができる、というような魂が、日本を強くしたのだろう、と思います。
ビジネス的にいうと、これが日本の「コアコンピタンス」。戦略も下手ですし、交渉も下手、そんな日本が生き残れたのが、このコミットメント。たったこれだけしか持っていなかったにもかかわらず、これだけの国に変えることができた。すごいことです。

賛否両論ありますし、最近は仕事よりももっと余暇の充実を、ですとか言われますが、この「コミットメント」の異常な高さが豊かな国をもたらした、というのは事実。
世界でもこれだけのコミットの高さを出せる国というのは日本だけでしょう。それを大事にしていきたいと思います。たとえ、経済的な発展をもう目指さないとしても、この世界に誇れる「コミットメントの高さ」を次の世代に伝えて生きたいものです。
自分のためではなく、人のためにとことんがんばることができる、すごいことです。
僕も、別に頭もよいわけではなく、要領がいいわけでもないですから、コミットメントだけは大事に持ち続けていたいと思います。

そんなことをふと思った一日でした。
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by shinji_isono | 2006-03-13 14:59 | いそいそ的国際論  

日本の国際競争力

また少し暖かくなってき、本日は久々に自転車を出して学校に行ってみました。僕の持っている分厚いコードを着ていくと、最後のほうは上半身は汗をかくくらいで、思わずコートのボタンをはずさなければならないくらいの気候です(気温で言うと3度とかそのくらい)。

昨日、日本の友達と飲んでいて話が出たのが、今後の日本の国際競争力について。たしかに今は経済的にも強いし、文化的影響力も特に(東・東南)アジアに対しては強い。でもこれが今後も20年、30年のスパンでも続くのか?とおもうと非常に疑問。というのも、とくにアジアの諸国は日本に迫ってきており、ご存知のとおり、一部の産業では韓国のほうが強くなってきたりしてきている。彼らは非常にハングリーであるし、特にこっち来て思ったのが教育制度がしっかりしてきているというところ。大学での勉強は結構厳しいようですし、たとえば英語力ひとつとっても国際競争力強化のために国を挙げてがんばっていたりする(タイだと幼稚園から勉強させるし、韓国はTOEICのSCOREは日本より上)。
もちろん、日本人にも数え切れないほどすごい人たちがいらっしゃいますが、なんとなく、こういういろんな国の人たちが集まる場で、「日本はやっぱりすごい」とどれだけ思わせられているか、というのと、「他の国の人のすごい人たち」の両方を考えると、もはや差はない、という気がしてきています。

長期的な競争力を考えた場合、結局は「教育」で勝負がついてしまうと思っていて、日本の大学のように特に勉強もせず、なんとなくすごしてしまうような場合が多い状況と、たとえば米もそうですが、Undergradも結構忙しく勉強しているところを比較すると、危機感を持ってくる。兵役がいいとは思わないが、韓国人が精神的に強いのもそこから来ている気もしてくる。
そういうきちんと教育を受けている人が毎年社会に輩出されている国家と比較すると、いずれジリ貧に陥っていく気がするし、早く高度成長期の貯金で食べてきた生活を脱却しなくては、という気もしてくる。

教育制度をしっかり変えていかないと、まったく資源が無い日本では、結局淘汰されてしまうのでは・・・?という危機感を強く感じるようになってきています。教育は、社会の「足腰」になる部分ですからね。
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by shinji_isono | 2006-01-09 11:10 | いそいそ的国際論  

日本の会社、ありがとう。

日々の生活で、そして会社のお客さんとして、いろいろな会社に接してきました。
アメリカに来て思いました。そのようなすごい日本の会社、どうもありがとう。

電力会社:停電が起こるとかは今のところありませんが、たとえばこっちでは、なぜかコンセントをさすときによく火花が散る。昔も日本では火花が散ったりとかはしてたと思いますが、電気の品質の高さなんですかね。今はそんなの無いですもんね。そんな電力会社さん、どうもありがとう。

ビール会社:品質にあれだけ注力しないと勝てない日本の市場で戦っていたビール会社さん。今思うと、日本のビールは相当うまい。こっちはビールは安いですけど、いわゆる飲んだ後に「くーっ!」とならない。つまりビール飲んであまり感動しない。水っぽいというのもありますが。缶ビールもこれでもか!と山積みされているアメリカと比べ、日本は「うまさ」が相当しっかりしてるんでしょうね。そんなビール会社さん、どうもありがとう。

パソコン会社:アメリカではノートPCに対して、あまり「コンパクトさ」を求めていないのか、基本的にすげーでかい。で、アメリカ人はあまり気にせず、相当思いPCを持ち運んでいたりする。われは、1.3kgくらいのかるいPCを持ち運んでおり、よく「ちっちゃいねー」と言われる。重い本を日常持ち運ばなければならない身としては、これは非常に大きい。(ついに、僕もリュックを買ってしまった@アウトレットモール。日本ではこれはださいので普通もたないんですよ、と前に先生に説明したのだが。。。もはや秋葉原系の人か中高生くらいですもんね。持ってるの。)そんな日本の会社、どうもありがとう。

お菓子会社:「なんか、お菓子でも買うかー」と思っても実は買うものが見当たらない。。。Too Sweetか、変な味のものか、体に悪そうなでっかいポテチとかばかり。もちろん、LintsとかHershey'sとかプリングルスは好き。でも「うーむ、いまいち。。。」というものが多いですね。まー、日本人の味覚にあうものを作っている日本企業と、アメリカ企業とを比較するのはよくないでしょうが、それでも思うのは、日本企業はほんとーにいろいろな種類のものをつくっていて、きめ細かく考えてもらっているなー、という気がします。そんなお菓子会社さん、どうもありがとう。

飲料会社:これもお菓子会社と同じ。環境学学ぶものとして、自動販売機は悪者以外に無い!と断言してしまうくらい、結構悪者なのですが、あの製品ラインナップはすごい。これもまたまた感謝です。アメリカの会社はあまり「うまいものをつくって勝負!」という発想はあるのか?というくらいに味よりも量で勝負!系が多い。もちろん、コーラやらといった、日本に根付いたブランドはすげー、と思いますが、種類の多さは日本は抜群にすごいですね。やっぱ、お菓子も飲み物も思いますが、日本人のほうが「選ぶ楽しさ」が重要なんですかねー。あまりアメリカで「どっちのほうがうまそーかなー。」と思って悩むことが無い気がします。(単に個人的な経験)
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by shinji_isono | 2005-09-24 13:00 | いそいそ的国際論