カテゴリ:いそいそ的環境学( 75 )

 

食糧問題

<食料事情>世界的に悪化の懸念 需要急増や環境問題で
5月3日19時36分配信 毎日新聞


面白い記事が出てました。食料問題が逼迫してくる、というのは、人口増と所得水準の上昇という二つがあることから、予想つくところだけど、もう一つがバイオ燃料による影響。

環境問題の悪化から、再生可能エネルギーの利用が増えているけど、

ヨーロッパ:風力
日本:太陽光

というイメージがある中で、

アメリカ:バイオ燃料

という流れがある気がしている。もちろん、アメリカは広大なので、風力が適していたり、太陽光の効率が高いところもあるけど、なんとなく、バイオに注力しようとしているし、その技術力は高い。

アメリカの休耕地すべてをバイオ生産に当てると、相当量のエネルギーを補えるというのを聞いたことあるけど、今回の記事にあるように、穀物争奪戦が始まりつつあるようだ。

トウモロコシの消費は

人間
家畜
エネルギー(バイオ)

という形で3者の使い道があるということなのだけど、当然生産効率一定、土地の大きさ一定だと、何かを得ると何かを失わなければならない。

また、この記事でブラジルの例を挙げているけど、ブラジルはとってもバイオが進んでいて、具体的な数字は覚えてないのだけど、交通部門におけるおそらく半分以上はバイオから作られている、というくらいのある意味環境大国なのだ。

それが、こうやってバイオ燃料生産のために、他の農作物をやめたり、新たに開墾したりするとなると、本当に環境にいいのか怪しくなってくる。

みんな知っているとおり、日本の食料自給率は危機的で、世界的な食料不安が起きたら、イチコロ。ジャパンマネーでなんとか買い込もうとするのだろうけど、限界があるだろう。国の機能を麻痺させるには、食べ物、飲み物をなくす、もしくはオイルを止めればよい。

今世紀は水の奪い合いによって戦争が起きるだろう、オイルより高くなるだろう、といわれている中、日本は降水量多いからOK!と思ってる人も居るかもしれない。
本当の奪い合いは、その水を使って作られる農作物なのだ。オレンジ一個をアメリカから日本に輸入する場合、生産に必要だった水数Lの輸入と同じ意味を持つのだ。日本も水戦争に巻き込まれる可能性は十分にあるのだ。

海外のエネルギー、食料に多く依存し、どの先進国にもないレベルで政府の借金があり、まさに土台がしっかりしていない中での繁栄を成し遂げているのが日本。危機に非常にもろい国家となっているのである。個人的には、最低限必要な食料くらいは、日本で補える方策を考えていくべきな気がしている。
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by shinji_isono | 2007-05-03 22:15 | いそいそ的環境学  

例え話のわかりやすさ

ってあると思うんですよ。よく一般的に使われるのが、

たとえば大きさだと

「東京ドーム10杯分」

とかいうような書き方。
環境問題だと、よく言われるのがこのまま世界中の人がアメリカ人並みの生活をするとなると、

「地球があと3つだか4つだか必要になる」

みたいな例え方。こういうと、なんとなくその規模がわかる気がする。
今勉強している開発学でもちょっと面白いデータがぽろぽろでてくる。

世界中には
一日一ドル以下で住んでいる人が20%、二ドル以下の人が43%くらいるんですけど、

EUの牛は、1頭あたり2.5ドル
日本の牛は、1頭当たり7.5ドル

の補助金を政府からもらっているのだそうです。

いくつかの豊かな国では年間300Billion Dollarsの補助金をFarmに対してしているのだけれども、この額は途上国援助に対する金額の6倍なのだそうな。

こういう規模感、インパクトがわかるデータって、ワールドウォッチ研究所の得意領域!って感じしますけど、
「うーむ、なるほど」
とちょっとうなってしまいますね。

←世界のCO2の1/4はアメリカから排出されてるんですけど、その事実に対してぼくは、「アメリカは地球の煙突」と最近言い放ってます。言った時の苦虫を噛んだようなアメ人の顔を見るのが楽しい。同感される方はクリック。
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by shinji_isono | 2007-03-25 05:21 | いそいそ的環境学  

EUの再生可能エネルギー20%目標

前に、カリフォルニアが2010年までに20%、2020年までに33%を再生可能エネルギーとする、という話をしたけど、EUでもこんな合意がなされた。

再生可能なエネルギーの利用割合、EUが20%目標で合意

足並み揃えにくいEUだから、今回も義務化はできなかったようだけど、非常にチャレンジングな目標だ。すでに、北欧ではこれより高い数字も出しているから、どれだけチャレンジングなのかはわかりかねるけど、あの大消費地のヨーロッパ全体で20%を化石燃料に頼らなくなるというのは、すごい進歩だ。これを実際に実現するには、いろいろな政策、排出権取引市場の整備等が必要になると思うけど、サステイナブルな社会に向けて、大きな一歩を踏み出した、といえるだろう。

日本はRPS制度を導入したりしてはいるものの、一向にこの目標値があがってこない。(まだ5%も言っていないはず)
もちろん、諸外国に比べて「エネルギー効率」が非常に高いために、一概にこの数字だけを比べてどうのこうのと言えない部分もあると思うけど、それでも明らかに低いと思う。(少なくとも世界でリーダーシップを取れるポジションからは程遠い)

ビジネス界の圧力が強いから、なかなか数字が上げられないのだけど、資源が無い日本にとって、早々と再生可能エネルギーへのシフトを進めていかないと、単に環境問題だけでなく、エネルギー問題による経済、社会の不安定さが露呈してしまう。
日本はこのエネルギー問題について、対して真剣に考えてないかもしれないけど、たとえばアメリカはイラクにあれだけの戦争をして、数千人の犠牲を伴っても、それに見合うだけの重要なインパクトがある、と思っているから、あの戦争をしたのだ。
アメリカ人が「たかだかオイルであれだけのことをする」というくらいのインパクトなのだ。
エネルギーとは。

第二次大戦でも、オイル供給のストップをまず狙われたし、資源を何も持っていなく、食物も自給できない日本にとって、これは非常に大きな問題だ。

朗報といえば、エネルギー効率への投資額は、先進国の中で日本だけがここ20年くらいで伸びている、というところ。

そろそろ政治家からチャレンジングな目標を聞きたいものである。
次の都知事も、ぜひシュワちゃんのように、「国が変わらないなら、うちだけ変わる!」というくらいのリーダーシップを発揮してほしい、と思うのである。

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by shinji_isono | 2007-02-16 08:07 | いそいそ的環境学  

Inconvenient Truth

「今日もがんばって行こう!」と思って家を出たのもつかの間、パソコンを持たずに家を出てきてしまったことに気づく。
そのInconvenient Truthをなかなか自分の中に受け入れることができず、気合でかばんの中を探すと、PCのアダプターだけが出てきた・・・

コンセントを持ちながら、「これだけで勉強できるかぃ!」と自分に突っ込みを入れてから始まった本日。寒さにより思考回路が麻痺し始めていると思われ。



今日のお話は、昨日見た映画「Inconvenient Truth(邦題は「不都合な真実」)について。

以前、Al Goreさんのお話で紹介したのだけど、環境の専門家でもあるアルゴアさん。最近はいろいろなところで講演をしている。我が大学も含め、世界で同じような講演をやってるらしい(日本も含まれてましたよ。)。

この講演した内容をそっくりそのままきれいにまとめたのが映画になった。それが「Inconvenient Truth」。本も出て、結構売れてる(ぽい)。

昨日、その映画をみんなで見よう!みたいな催しが他のスクールであって、ただでピザも出るらしいというConvenient Truthを携えて、出かけていった。

今回見ても思ったけど、この人は本当にプレゼンがうまい。引き込まれつつ聞いてしまう。彼の言葉とともに次々と投げつけられてくる衝撃的な事実たち。内容自体は二回目なのだけど、結構入り込んで、じっと聞き続けてしまった。

実際にこないだ大学に来たときに聞いた内容と比べ、今回のはよりよかった。最後のまとめ方がよかったのだと思うし、「僕らはもう解決に必要なあらゆる技術は持っているのだ。あとはやるだけじゃないか!」というメッセージが、変にミシガン来て、自動車業界に気を使った前回の終わり方よりもよりぐっと来た。

環境問題の重要さを、映像とデータとともに、理屈よりも心に直接どかーんと訴えてきます。(まずはここのリンクからダイジェストをどうぞ。ぜひぜひ見てほしい。
そして、見た後に数分でもいいので、じっと座ったままで考え事をしてほしい。人それぞれ、何かを感じることができるのだろう、と思う。

個人的には、また元気をもらった気がして、とってもよかった。
この人が大統領になってたら、世界の環境問題は大きく変わっていただろうに・・・というのが悔やまれますね。

PS ちなみに、英語(特にリスニング)を鍛えたい!という日本在住の方。この人の英語は非常にゆっくりとわかりやすく丁寧に話すので聞きやすいです。入門編としてもお勧めですよ。

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by shinji_isono | 2007-02-01 14:24 | いそいそ的環境学  

「開発」とは。

SASAPYさんのところでもよく書かれていますが、「開発」って何ぞや?については僕もいろいろ悩んでました。

貧困克服のために(経済)開発すべき、という話と、経済的に豊かにさせることが彼らにとって本当に幸せなのか?というような意見と。

が、最近ようやくその謎が解けたような気がします。

本来、「開発」が対象にするのは、貧しくて自分達だけで生きていけない人たちなのです。したがって、自給自足してすでに自分達で暮らしを成り立たせることができている原住民の人々は対象としていないのです。それを強引に、「まだこんな原始的な物を使っている!」というような大きなお世話で、開発をしようとしたのが問題。これは、彼らの利用している天然資源(森とか)を開発したいがために、レトリックとして「近代的な生活」を彼らに押し付け、資源を奪おうとしたという狙いからもおきている。これは単に「開発」ではない行為をしているだけなのだ。

一方で、明らかに貧困の人々がいて(特に都心のスラム)、この生活から脱却すべき、というためのものが「開発」。実際、自給自足なぞできず、十分な食べ物、飲み物、衣服、薬、その他資源を入手できない人たち。彼らを支援するのが開発なのです。

この2つを同時に議論しようとするとこんがらがってくる。開発は間違いなく必要で、先進国ではちょっとその辺のドラッグストアで売っている薬を飲めば直る程度の病気をした子供にたいして、親は何もできず、泣き叫ぶ子供をただ抱っこして胸の中で死んでいくのを見届けることしかできない、という世界だからです。

本来、「開発」が目的としているのは、資本主義化して西洋の生活スタイルを、なんてことはまったく考えてなく、ただ単に、

十分な栄養を提供する
最低限の健康維持に貢献する
自分をさげすむことなく、自分を尊敬できる(Self esteemといいます)環境にしていく

というレベルまでしかない。その後は好きな方向性を選んでください、というだけで、それ以上は関知しない。

教育が必要なのも、単に、どうしたら十分な食料を入手するか、の手段として経済活動を進めているだけで、彼らに贅沢になってもらうため、ではないし、すでに昔から存在する食料の入手方法(作るなり、何かを売る代わりに市場で買うなり)をもとに、それをより促進させるための手助けをする、というのが基本となるべきなのだ。つまり、先進国が行っているビジネスの仕方をそのまま当てはめる、べきものでもないのだ。(そこも混同されているから、開発はいいのか?という話が起きる)

健康問題なども、結局は字が読めない等により適切な処置法を知らないことにより引き起こされている場合が多い。こないだ紹介した本、未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家にも書いてあったけど、あと2週間早く田舎のクリニックに来るだけで簡単に治った病気のために、多くの人が亡くなっている。そのための教育であり、開発なのだ。

つまり、本来あるべき「開発」と拡大解釈されている「開発」がおきていることにより、議論が生まれてると思う。

「自給自足ができない人」に対し、「最低限の生活をする」ことを支援するのが「開発」であり、
それ以上の行いは「開発」ではなく、もはや「ビジネス」の範囲なのだ。
そこは、よく開発を批判する人が言うとおり、先進国側の考えを押し付けていくべきではない。現地の彼らが自分達の将来を決めるべき問題なのだ。


PS 前にも書いたけど有名な話として、
アフリカの人と先進国の人の話
先「なんで一日中こんなところでごろごろしているのだ?働きなさい」
ア「では、なぜ働かなければならないのだ?」
先「一生懸命働けば、将来それで楽な生活ができるからだ。」
ア「俺は今、それをしている。」

もひとつ、有名なお話(出所がわからないのですけど・・)

メキシコの田舎町。
海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、

「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」

と尋ねた。
すると漁師は

「そんなに長い時間じゃないよ」

と答えた。
旅行者が

「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」

と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」

と旅行者が聞くと、漁師は、

「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。

「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」

「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」

と旅行者はにんまりと笑い、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」

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by shinji_isono | 2007-01-31 03:39 | いそいそ的環境学  

類は友を呼ぶ

今学期とっている「Economic Development」という授業に結構はまっていて、毎回リーディングアサインメントとして出される課題を楽しく過ごしております。

まだ1/3しか読んでないしのだけど、課題図書の一冊。800ページくらいの超大作のこの本(その名も「Economic Development」とそのまま)。すごくお勧め。
基本的なことをすべてしっかり網羅しました。そういう感じの本です。高いけど。

で、今日はこないだ授業で習った「O-ring Theory」についてのお話。

「あなたはどういう人と仕事をしたいですか?」

の問いかけにあなたはどう答えるだろう?もちろん、性格がよくて、とか責任感が強くて、とかもあるけど、スキルについてはどういうレベルのスキルを持っている人としたいか?

やっぱり、自分と少なくとも同等、もしくは自分よりスキルのある人と仕事をしてみたい。この世界で有名な有名な○○氏と仕事してみたい!みたいな答えが出てくるかもしれない。

そうなるとどうなるか?
もっともスキルのある人たちはやっぱりもっともスキルのある人たちと一緒に仕事をする。
次にスキルのある人たちは、やっぱりそのくらいのスキルの人たちと仕事をする。

という感じに仕事をしていくと、最後は
「もっともスキルのない人たちは、もっともスキルのない人たちと仕事をする」

ということになる。

こうやって同じスキルの人たち同士でグループ化され、仕事がされていくというのをO-ring Theoryというのだけど、これは経済学的に説明できる。チームとして仕事をし、自分ができる仕事、発揮できるスキルは決まっている場合、よりスキルのある人と仕事をしたほうが、チーム全体のパフォーマンスをアップでき、自分への見返りも最大化できるからだ。

いわゆる「類は友を呼ぶ」のような現象が起こる。

一時期、アマチュアの最高の選手はこぞって巨人に行ったのも同じ理屈かもしれない。弱いチームにいるより、強いチームで自分も一流プレイヤーとして働けば、優勝の可能性がもっとも高まるし、自分の評価も上がるからだ。

僕は常に、鶏口牛後ではなく、牛口鶏後に自分をおくべき、と思ってきた。
僕のようななんちゃって野郎は、鶏口になってしまうと調子に乗ってしまうし、逆に小心者としては牛後でい続けると、いつも自分に劣等感を持ち、危機感を持って努力するからだ

でも、これも実はO-Ring理論で説明できるかもしれない。自分の周りに優秀な人ばかりいれば、学ぶことも多く有意義だからだ。優秀な企業は優秀な人ばかりが集まってくる、というのも同じだ。

と自分にも当てはめて、「へーーーっ」と思いながら読んでたのだけど、途上国では重要な問題だ。貧困で教育をしっかり受けられない人はずっと、同様の人としか仕事ができず、貧困層から抜け出せるチャンスが生まれないからだ。逆に一度、「勝ち組」には行ってしまうと

スキルを身につける→よりいい仕事→更なるスキルが身につく

と好循環となり、貧困層との所得格差が拡大していく。もはや多くの途上国では、世界銀行が去年出したWorld Development Reportもここにフォーカスしてたとおり、絶対的な貧困よりも、この所得格差がより重要な問題となっているのだ。

「教育」が「開発」においてよく重視されるのも、こういうところにもあるのだ。

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by shinji_isono | 2007-01-26 08:29 | いそいそ的環境学  

環境スクールとは何か?Vol2

前に書いてからだいぶたちましたが、続きを。

前回は、環境スクールと他のスクールとの比較、およびどういう人が望ましいか、についての私見を述べたのですけど、今回は環境スクールの問題点について、とそれを踏まえても環境スクールで勉強したい、という人に向けてのアドバイスを。

環境スクールの問題点は、大きく二つ(よそのスクールをよく知らないので、うちの環境スクールの場合、なのかもしれませんが・・・)

1.プロフェッショナルスクールとしての完成度の低さ

バックグランドがビジネスで、多くのMBAホルダーの友達がいる関係上、ついついビジネススクールと比較してしまいますが、プロフェッショナルスクールとしては、まだまだビジネススクールレベルには程遠い。

プロフェッショナルスクールの売りは「実践力」なのだけど、それがまだ弱い。アカデミア的な授業が相当多い。たとえば、ビジネススクールでは「ケース」をベースにした授業が多いのだけど、このケースなるものは、いろいろ世の中の流れを捉え、よりインサイトのあるもの、議論する価値があり、どういうソリューションを見つけるべきか?についての議論の土台となるものがよい。それにはさまざまな事例から、多くの時間をつかってケースを作り上げ、洗練していく必要がある。また、古いケースをずっと使い続けられる場合はそんなになく、時代の変化に応じて改編もしくは入れ替えて行かなければ行けない。

その点、環境スクールは「プロフェッショナルスクール」を標榜しているものの、そこまでのレベルにない。理論中心の授業がいまだ多いし、その理論を使って実際に問題をどう解くか?そこへのアプローチの仕方、解決法まで深堀りがなかなかできていない。ケース主体の授業もいくつかあるのだけど、やっぱりケースが(たとえばトップビジネススクールと比べて)そんなに洗練されていないし、環境問題もビジネスと同様動きが早いのだけど、それをキャッチアップしてケースに反映させられているか?というとNOだったりする。したがって実践力が弱く、「理論を学んだけど、実際それを将来自分がどう使うかわからない。」という生徒が多くいるように見える。

2.更なる問題点は、学際性。
本当に学際性の重要性が叫ばれ始めたのは、ここ10年そこらだと思う。つまり、今いる教授もこの学際性にフォーカスせずに勉強してきて、実績を積んで教授になっている人たちだ。したがって、経済学専門の教授、政治専門の教授という形でいるだけで、経済と政治の学際的な部分の教授というのは基本的に存在しない。なぜならこういうところをフォーカスしている以上、昔は教授になれなかったからだ。
これが何を引き起こしているかというと、結局は複数の学問領域にまたがったクラスというものがほとんど存在せず(経済&政治のクラス)、その中身は、複数の学問領域のクラスをそれぞれとる形(経済学のクラスと政治のクラス)となっていることだ。

多様なメニューが環境スクールにはあり、学際的に学べるようだけれども、要するに縦割りのクラスを幅広い領域からとっていき、自分の頭の中でミックスして「学際性」とするにすぎない、というところだ。これは、ビジネススクールにも当てはまると思うのだけど、実際のビジネスの世界では財務の問題と経済戦略の問題、そして生産システムの問題をそれぞれ切り離して議論はできないにもかかわらず、授業は財務のクラス、戦略のクラスと分かれてしまっているのと同じ。(ビジネススクールのほうが、ケースを通してより統合されていると思うけど)

うちのスクールは、今その問題に対応しようとしていて、「学際的なクラス」を設置して取り組もうとしている。個人的な意見として、縦割りのバックグラウンドの教授をもとに、学際的スクールとするには、ひとつのクラスをひとつの教授が教える時代は終わった、と思っているし、教授は教えるという立場から考える場を提供する人に役割も代わるべきだと思っている。その辺にフォーカスし、経済学や生態学の教授が共同で授業を持ち、その学際性を追求していく、というクラスができ始めた。正直、まだ完成度は低いみたいだけど、こういうクラスをもって行かなければ、本当の学際性をアカデミアが追求できるとは思えない。



ということを踏まえ、環境スクールで勉強したいと思う方に、環境スクールの選び方および利用する場合のポイントを。

まず、幅広く環境問題を勉強したいのでなければ、環境スクールは基本的には進めない(とっても気に入っている教授がいる場合は除く。)。逆に言うと、環境スクールを選ぶに際しては、どこまで多様性を持っているか?というのは重要。僕がこのスクールを選んだ理由のひとつは自分がやりたかった「環境政策」がここだけはちゃんとコースとして存在していた、というところなのだけど、それ以外の領域も結構強いといわれている。たとえば、森林学だったりLandscape Architectureだったり。そういうところには、そういうところのバックグランドを持った優秀な生徒が集まってくるわけで、いろいろな領域で強い、と思われている環境スクールをお勧めしたい。特に、今までの自分の人生ではめぐり合わないような領域が含まれていると、より面白いと思う(僕の場合は「デザイン」ばかりをする集団とか)。そこでふれあい、もまれることで学際性を肌で感じることができるからだ。

次に、他のスクールとの連携がどれだけあるか、も考慮したほうがよい。これだけ環境問題が幅広い領域に関係すると、「環境スクール」だけでは対応できない。そうなると他のスクールとの協力等々も必要になってくるわけで、それがどこまであるか?も重要。うちのスクールだとMBAとのDual Degreeが常に100人以上いたりして、そこと連携が強いだけでなく、他のスクールと共同開講するクラスが多くある。そういうのがどの程度充実しているかも重要。

さらに、どれだけ履修する授業に自由度があるか?も見るべき。僕の場合、結局履修したクラスの半分は、他のスクールとの共同開講もしくは他のスクールの授業を取った。Business School, Urban Planning, Engineering, Economics等のスクール。学際性の定義、およびそのうちどの辺を強化したいかはそれぞれの生徒の興味や今後のキャリアプランによって異なるわけで、あまりスクール側から必修科目として押し付けるのは、個人的にはあまりよくないのではないか?と思っている。

最後に、ちゃんと修士論文もしくは修士プロジェクトを行え、またそれをサポートできる大学か、を見ることをお勧めしたい。いくらしんどく、ハードな授業でも授業で得られるものはたかが知れている。ひとつのことを本当に真剣に時間をかけて考えることはしないからだ(知識だけは増えるけど、知恵はあまり向上しない)。それは、次から次へと課題は与えられるわけで、ひとつのことにこだわっていては終わらなくなるから(長くて一週間が限度)。
よって、それとは別に1っこでも1年以上かけてじっくり考えるものとしての論文・プロジェクトをすることをお勧めしたい。ケースだって、所詮は実践力からは程遠いし、ちょっとわかった気になるくらい。実際にクライアントをもって議論したり、現地に行って肌で感じたり、そういうものを得ずに実践力は得られない。
ただ一方で、それを大学側がしっかりサポートできるかというと必ずしもそうではない。教授は教授で忙しく、特に修士レベルだとあまり見てもらえない、ということも多い。したがって、研究を支援するための各種機関が大学内にあるか?も重要。たとえばうちの大学だと、当然図書館(電子ファイルで論文は取れる)、統計センター(統計学の相談を一手に受けてくれる)、アカデミックライティング、リサーチファンディングのためのコンサルティングくらいのサービスはある(個人的にはもっといろいろほしい)。それに加え、前にも述べたけど、自分のリサーチ領域が学際的な場合、実は教授がそれをサポートできるとは限らない(教授は自分の領域以外になるととたんに弱くなる)。なので、少しでも自分の関心と近いことをしている教授を探すことをお勧めするし、またいなければ自分でやっていけるための支援機関があるかもポイント。

ということで、いい部分も悪い部分もあると思うけれども、メリットがデメリットを大きく超えているかを考えて留学されたほうがいいと思う。なぜなら、たとえばMBAと違い、とりあえず持っておけば将来の仕事に役立つ、将来のキャリアでつぶしがきく、というものではないからだ。
実際、たとえば転職市場で環境スクールという価値は大して評価されないし、卒業後就職活動で困る人は多くいる。なので、そこはきちんと考えたほうがよいと思う。

最後の最後に、一言。メリットがデメリットを超える要素として「英語力の向上」はある。正直、僕は英語ができなくてよかったと思っている。英語がしっかりできてからここにきてたら、メリットがデメリットをかなずしも大きく超えないからだ。これは留学全般に言えるけれども、英語力が足りていない人にとっては、留学のメリットの重要な一要素になりうるのだ。また、そのくらいのハンデをもってやったほうがチャレンジングでちょうどよいレベルになる。

と、こんなところでしょうか。参考になれば幸いです。
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by shinji_isono | 2007-01-12 14:04 | いそいそ的環境学  

環境スクールとは何か?Vol1

について、書いてみたいと思う。ついに3セメスターが終わり、残り一セメスター。環境スクールについてわかってきたし、長所、短所もわかってきた。そこを書いて、環境スクール行ってみたい!とか思っている人の役に立てばいいな、と思う。

まず、「環境スクール」とはなにか?ということから始めるべきだろうと思うけど、いわゆる環境スクールとして、(アメリカで)有名なのは、Yale大学、Duke大学、そしてわれらがUniversity of Michiganだ。この3つが御三家ということでいいのではないか?と思う。
環境スクールの定義というのはよくわからないのだけど、おそらくどこも共通しているのは、環境問題を学問の対象とし、学際的にさまざまな学問領域からその解決法を考えていくためのプログラムが組まれているもの、と言っていいだろうと思う。

その中で、うちの大学がもっとも伝統があるのだけど、たとえば、うちのスクールで学べるのは、環境に関する経済学、政策、ビジネス、生態学、心理学、空間解析、環境技術、デザインなど。つまり、環境に関するものはなんでもはいってます!というプログラムになっている。

つまり、これら環境スクールでは「なんでもできる」のだけど、裏を返すと、「何もできない」と表裏だ、ということだと思う。つまり、どの学問にしても、それだけを専門としている大学院は存在するわけで(経済学の大学院、政策学の大学院、MBAなど)、それぞれの専門においては間違いなく、そういう大学院には勝てない。

「学際的」という言葉はある意味美しいのだけど、限られた2年間でできること、を考えるとそれはすなわち「浅く広く」につながっていく。
もちろん、自分で取るクラスを工夫しさえすれば、たとえば「ほとんどを(環境)経済学に関連するものを取る」ということも可能だ。でもそれであれば、個人的には環境スクールにくる必要はないと思うし、経済学の大学院の中で環境経済学を中心に勉強されたほうがよいと思う。

では、この「浅く広く」では意味がないのか?ということなのだけど、そんなことはなく、このスクールはとっても有意義だ。まず、それぞれのバックグラウンド、言語(ここでいうのはビジネス言語とかデザイナー言語等)が違う人たちが一緒に集まり、考え、議論するということ。そこに学際的スクールの根幹があり、さまざまな価値観が入り混じる環境問題解決の難しさを学べるからだ。

ただ、環境スクールに行くための条件として絶対にお勧めしたいのは、

「きちんと自分のコアスキルを持ってからくること」

この一点に尽きる、というのが1年半ほどいて実感したことだ。まず新卒で来るのは個人的には時間の無駄だと思う。ただでさえ、軸がない上、さらに浅く広く勉強するだけであり、そこには得られるものがあまりない。新卒や第二新卒的な形で来ている方もいるけど、やはりカリキュラムの捉え方が違う。せっかくの「プロフェッショナルスクール」なのだけど、ついついアカデミア的な「論理中心」の勉強法にはしりやすいし、浅く薄く勉強して得られるものが少ない。それがいやな人はひたすらさっき行ったような、特定科目中心(経済学中心とか)のクラスの取り方をして、環境スクールの強みを生かせなくなったりする。まだ実務の経験がないことから、ついつい大学の延長的な勉強法になってしまい、いつの間にか「将来この知識をどう生かすか?」よりも「単位を取ること」に集中してしまう、という感じだ。

学際的アプローチに大事なのは、まず自分の「軸」をしっかり持つことだと思うし、その軸に関する科目については、授業取らなくても十分わかる、ある程度の「プロ」だ、と言えるレベルであることが望ましい。それをもとに、さまざまな学問に自分の知識の幅を広げることで、「学際性」を身に着けることができるのだろうと思う。

では、そういう人たちがなぜこの横断型スクールがいいのか?というと、まさに自分のコアの周辺領域(外堀)をいろいろな学問を学ぶことによって埋めることができるからだ。

たとえば僕の場合、経済学やビジネス領域は一定以上の知識を持ってからきた。ただ、環境に関する政治プロセス、環境技術、生態学、社会学、経済開発、そういうものについては、まったくの無知であった。でも、もちろん環境問題を論じるにあたり、これら周辺科目は非常に関連してくるし、一方で、これらを無視しようとすると、非常に限定された狭い領域でしか物事を語れなくなる。これら周辺科目を学んでいくと、あるときにパズルがぱぱぱっと組み合わさるような感覚が得られると思う。また、それができると「成功」といえるだろうと思う。
僕の場合、環境問題克服にあたり、ビジネスセクターの重要性は最も大きいと考えていて、そのために企業はどうすべきか?というようなことを前の会社でも考えていた。でも、それはあくまでビジネスの世界にこもりっきりの人が考えた内容であった。それがいまだと、その外から、たとえば政治側の視点から、生態系をある程度理解した人の視点から、つまり外部の視点からも捉えられるようになってきた、というところが大きい。

さらに、先ほど言ったような、「他の言語を持った人々の思考回路」を学べるのも有意義な点だ。たとえば、政治家の行動パターン・モチベーションは第一に「次の選挙の当選」にあり、そこから物事を考え勝ち。環境政策のインパクトもそれが次の選挙に有利か、不利か?という基準で考える。生態系中心な人はとにかく「ありのままの自然」の保全に全力を尽くすし、デザイナー的な人は、「美しさ」を基準に生態系を構築しがち。そこにはビジネスバックグラウンド、経済学的バックグラウンドの人が持ちがちな「費用対効果」は結構蚊帳の外になりやすい、というように。

もちろん、同じビジネスの世界だけでも、ものの見方はいろいろと違う。でも、その違いというのは、僕と毎日山に入って研究している生態学者(もしくはその予備軍の生徒)との違いに比べるとはるかに近いものなのだ。

では、違うバックグランドの人同士が、お互いにそれを2年間で理解しあえるのか?ということだけど、これはおそらく無理だ。そんな簡単なことではないし、アメリカ人同士でも、お互い近いバックグラウンドの人たちでグループをつくりがちで、他の言語を話す人々とは仲良くなりにくい。
しかし、たった2年間では完全には分かり合えないからこそ、環境問題というのはチャレンジングなことなのだと思うし、この2年間がその第一ステップになるのだろうと思う。

話は戻るけど、「自分の軸を持ってから来るべき」というのも、このさまざまなバックグラウンドが交じり合う世界に入る名刺代わりにも役に立つ。ひとつでもしっかり持っていると、それにて他のバックグラウンドの人達に新たな世界を見せられるのだ。
「ビジネス的な思考ではこう考える」
「この論点は、われわれだとここにフォーカスする」
「こういう方向性を見出す、解決策を見出しやすい」
「こういうプレゼンテーションを行えば効果的だ」
というように。(英語がしっかりできない人であれば、なおさら重要)

これらがまずは、ほかの大学院と違って決定的に違う「学際的」で「プロフェッショナルスクール」である「環境大学院」の特徴だと思う。

(後半に続く)
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by shinji_isono | 2006-12-26 09:31 | いそいそ的環境学  

HOMER

と書いても、別に野球の話をしたいわけではない。つまり、
「ホームランを打つ人」
という意味でもないし、
「出ました金本40号ホーマー!」
という意味でももちろん無い。プロ野球がオフシーズンの今、こういうネタは書きにくい。

前置きはともかく、HOMERとは、National Renewable Energy Laboratory(NREL)というアメリカの環境省(EPA)の外郭団体みたいなものなんですけど、そこが出しているソフトウェアだ!

エネルギーに関係ない人には、まったく興味ないとおもうけど、このソフトウェアを使うと、電力を発電するためのいろいろなシミュレーションが行えて、そのNet Present ValueやSensitivety Analysis 等ができる優れもの、しかもそれがフリーでダウンロードできるソフトウェアというおまけつきなのだ!

って書いてもピンとこないとおもうので簡単に言うと、
太陽とか風力とかバイオマスとかいろいろな発電形態があるんだけど、その発電形態およびその組み合わせでもっとも安く発電できるのはどれか?を計算してくれるソフト、ということなのだ。

いま、このソフトウェアをぐりんぐりんまわしながら、ガーナリサーチの研究を行っている。そこには僕が行ったガーナの村Mbanayiliにはどのくらいの日照時間があって、風はどのくらいふいて、僕がインタビューして得られた需要予測データをぶち込んで、等々をがががっとデータ化し、それをもとにソフトウェアが一生懸命汗をかきながら、最適な方法を探してくれている、というわけだ。

大変なのはまず、一つのシミュレーションシナリオを作ると、その答えを得るまでにかかる時間がなんと「7時間!!!」。12,000通りのシミュレーションを96個のパラメーターを動かしつつ計算していて、とっても時間がかかる。B5のHandyさを重視して買ったこのIBMマシーンではちょっとしんどそうだ。

さらにそのシナリオパターンが全部で20以上はあり、24時間体制で働いてもらっている。
僕は夜は数時間寝るけど、このPCに休みは無い。とやると、いつか壊れそうだからたまには休ませたほうがいいかな?とおもいつつも、昼夜がりがりと計算してもらっている。

で、いろいろなシナリオパターンを計算しているんだけど、いまだにコストが高い。Willingness to payというのがあって、「ぶっちゃけ、電気になんぼくらいなら払えます??」と村人に聞いて分析した結果、村全体で年間に払えるお金はおそらくたったの700ドル。
現在の発電コストはちょい高めの100ドル近辺。開発を「サステイナブル」にするために、この300ドルの溝を埋めるために、昼夜僕が、ではなくて僕のPCががんばっているのだ!
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by shinji_isono | 2006-11-27 04:11 | いそいそ的環境学  

野焼き

(先週木曜日のお話です)
一言で言えば野焼きです。Prescribed Burningといったりしますが、要はPrairieを焼き払う!ということ。

行く前から友達と
「へっへっへ、合法的に(Legally)に焼き尽くせるなんて今日は最高やなー」
とか言いながら原っぱに向かう。

原っぱには1m以上の草がぼーぼー。
「あー、これが地球の産毛なんやな。」
とか思いながら、Ecological Restorationと呼ばれる授業の課外授業が始まる。

野焼きの目的はPrairieを維持するために、毎年火を入れ、Invasive Speciesをコロすこと。
風向きをチェックし、「こっちから燃やしていきます。」といってみたり、「ここに防火服があります。皆さん身ににつけてください。」とかインストラクターに言われつつ準備が進む。

「この水が入ったタンクを何人かの人に持ってもらいます。区画外に延焼した場合は、この水鉄砲みたいので消してください。」とだと。

「おー、その水タンクは重そうやな。屈強なアメリカ人どもよ。ここは一つ頼むぞ。おいらは、今日は何にもせず遠くから『おー、火が燃えてる。すげー』とか言いながら、持ってきたデジカメでぱちぱち取るだけだからな。」
と思ってたら、まずはJ君がすりすりと寄って来て、
「これ着なよ。」
といってきた。「おいおい、おいらはそんなだぼだぼの足首から首まで一気に包んでくれるその服が必要なほど、火の近くの危険なところまで行く気ないのだぞ。」
と思いながらもしぶしぶ着る。

今度は、Pがそそくさとやってきた。
「Hey, これしょってみろよ。試してみろって!」
「おいおい、それはどう見ても重そうな水の入ったタンク。それは毎日エクササイズで鍛えているお前らがしょえよ。」と思いつつも、なんとなくノリも大事と思いしょってみる。

そして、晴れて防火班の一員になった僕は、延焼を防ぐために野焼きエリアと森との境界にたたずむよう命じられる。
↓遠くでたたずんでいる僕。なんとなく重いバケツをもって罰として立たされているのに似ている。
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さっそく野焼き開始。Nくんが風下から火を入れていく。ばばばばっ。
「おー、これは○○タイプの焼き方だな。風下からだから時間がかかるやり方だが安全に焼けるのだ。」
と思い、しみじみ見ていくが、そこそこ風があるので、風下からだとあまり燃えずすぐ消えてしまう。

20分以上たってもうまく燃えていかないので、インストラクターが作戦を変えた。
そろそろと、火を放つ一団が風上にうつり始めた!着火とともに勢い良く燃える炎!
そして燃えるスピードが半端じゃない!

↓ばばばばばっ!
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↓ごごごごっ
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火が、こっちに・・・こっちに襲ってくる!!!
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強風を追い風に、その火の高さ、最後はゆうに3m以上。インストラクターが叫ぶ!

「防火班、後ろに下がって!下がって!」

もはやこんな水鉄砲持っていたところで消せるわけではない。迫り来る炎!そして顔めがけて襲ってくる熱風に灰で、目も開けにくい!

気づいたら僕は木の後ろに隠れ、襲ってくる炎を必死に避けていた。。。











というのは本当の話で、ただ、ちゃんとマネージされている野焼きだったので水鉄砲使わずとも延焼は起きずに、10分もしたらきれいに火は消えてしまいました。

いやー、火事って恐ろしいんだ、ということを学べた「Restoration」という名の授業でした。
面白かったー

(写真協力、Y氏)
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by shinji_isono | 2006-11-17 21:06 | いそいそ的環境学